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2006年2月24日

日本の裏側で-2

 よく外国で生活すると日本文化が見えて来ると言われる。
私の場合もそうだった。時に自分でも少しおかしいと思えるくらい愛国心に燃えたりした。後で冷静になって顧みると、気恥ずかしくてどこかに隠れたくなったりもした。

 でも最近になって、海外で生活してゆくと、こういった感情は自然な流れだと思うようになった。

 それは日本で過ごした日常生活の中では、ごく自然に他国の人間と触れ合うことが無い。特に幼少時においてそれが無い。

大人になってから急に(?)異国の人に接すると、ある種こんな感じになるのではないだろうかと想像するようになってきた。他の多くの国では、同じ国でありながら異なる民族が混在していたり、同じ民族でも宗教が異なっていたりする例は枚挙にいとまが無い。

むしろ国全体で一つの民族と言えそうなところは少ないのでは無いだろうか。従って子供の頃、自分と違う容姿や価値観を持っている、自分と同年齢の人間と交流した経験が、日本人に比較するとはるかに多くあったのではないかと思える。

 もっとも最近では、日本人が一つの民族からなっていると言うのは実は嘘で、アイヌや沖縄の民族を一つにしてしまう事はおかしいと主張する向きもある。
 確かにそれは認めるが、そのことでことさら表立って対立したり、あるいはどうにもならないほど明確な宗教観の違いがあったりするわけではないので、この点、おおざっぱにひとくくりにしてしまっても良いのではないだろうか。

 アメリカで生活してゆく中、そんな自然の流れでいっぱしの愛国心が芽生え、教会通いや楽吉左右衛門との出会いなどの運命があり、そのうちに「禅」にたどり着いたと自分で勝手に解釈している。

 それに当時流行のビートルズなどの言動や行動に注目、彼らはインドに魂を求めている。

 最先端の西洋文明を身につけたトップアーチストが、肝心の自国の文化を捨て、以外の価値観を、他に求めてさまよっているような輩がいるのだ。
 そのことが一度頭の中を空にして考えて見なければ、と思うきっかけにもなっている。

 それに「禅」だから即、愛国心というわけでも無かった。
 実、当時は日本に帰ったら教会に通ってみようと真面目に思っていたのだ。

 それが出来なかったのは、後日帰国してから分かる、新たな事実を認識することになったからだ。

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このページは、Hitoshi Kimuraが2006年2月24日 08:47に書いたブログ記事です。

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