2006年2月アーカイブ

2006年2月24日

日本に帰って

日本に帰ってきて発見した新たな事実。
など大げさな表現をしてみたがどうって事はない。日本には気楽に入れる教会が少ない。
いや、実はあるのだが何となく気後れしてしまう。

教会を求めて探してみた。

アメリカでは街の一ブロック単位で教会があったがここには見あたらない。
たまにあっても門戸が閉ざされており、どこにも見うけられる神社のような開放感が無い。ドアを押し、中へ入る、それを阻む見えない壁。

むろんアメリカでの教会も通常はドアが閉じられている。
だが、町が放つ空気が教会を親しみやすくしている。そこに住む人々の暖かい人間臭を感じ、ドアを押し開ける勇気が沸いてくる。

日本でのそれは臭いを感じる事が無いように思えた。

周辺を探索すると同時に玉砂利の件もあったので長野の山、川を、石を求めてドライブする。
風光明媚な山道を走っているうちにあることに気付く。
見晴らしの良い山道のポイントとなりそうなこんもりとした丘陵など、必ずといっても良いくらいに神社の祠か鳥居がある。

ハンドルを握っているうちに何となく心弾む気持ちになるところ。
どことなく周囲の風景に惹かれるところには、鳥居がその場所を見守っている。

そしてその多くは風雪に耐え歴史を感じる風格を持っていて、小さいながらも威厳を放っている。昔から代々その土地に住んでいた人々が大切に受け継いできた魂の継承が、そこにはあった。

祈りの原風景。
捨てられ、忘れ去られようとはしているが、それでもなおかつ毅然とした神への憧憬。

いつの間にか心惹かれていくのを感じた。

日本の裏側で-2

 よく外国で生活すると日本文化が見えて来ると言われる。
私の場合もそうだった。時に自分でも少しおかしいと思えるくらい愛国心に燃えたりした。後で冷静になって顧みると、気恥ずかしくてどこかに隠れたくなったりもした。

 でも最近になって、海外で生活してゆくと、こういった感情は自然な流れだと思うようになった。

 それは日本で過ごした日常生活の中では、ごく自然に他国の人間と触れ合うことが無い。特に幼少時においてそれが無い。

大人になってから急に(?)異国の人に接すると、ある種こんな感じになるのではないだろうかと想像するようになってきた。他の多くの国では、同じ国でありながら異なる民族が混在していたり、同じ民族でも宗教が異なっていたりする例は枚挙にいとまが無い。

むしろ国全体で一つの民族と言えそうなところは少ないのでは無いだろうか。従って子供の頃、自分と違う容姿や価値観を持っている、自分と同年齢の人間と交流した経験が、日本人に比較するとはるかに多くあったのではないかと思える。

 もっとも最近では、日本人が一つの民族からなっていると言うのは実は嘘で、アイヌや沖縄の民族を一つにしてしまう事はおかしいと主張する向きもある。
 確かにそれは認めるが、そのことでことさら表立って対立したり、あるいはどうにもならないほど明確な宗教観の違いがあったりするわけではないので、この点、おおざっぱにひとくくりにしてしまっても良いのではないだろうか。

 アメリカで生活してゆく中、そんな自然の流れでいっぱしの愛国心が芽生え、教会通いや楽吉左右衛門との出会いなどの運命があり、そのうちに「禅」にたどり着いたと自分で勝手に解釈している。

 それに当時流行のビートルズなどの言動や行動に注目、彼らはインドに魂を求めている。

 最先端の西洋文明を身につけたトップアーチストが、肝心の自国の文化を捨て、以外の価値観を、他に求めてさまよっているような輩がいるのだ。
 そのことが一度頭の中を空にして考えて見なければ、と思うきっかけにもなっている。

 それに「禅」だから即、愛国心というわけでも無かった。
 実、当時は日本に帰ったら教会に通ってみようと真面目に思っていたのだ。

 それが出来なかったのは、後日帰国してから分かる、新たな事実を認識することになったからだ。

日本の裏側で

 楽吉左右衛門に出会えて、それまで漠然と考えていた自分の中にある原点が見えてきたような気がしてきた。
 おそらく漫然と日本で過ごしているだけでは、こんな感情には至らなかっただろう。
 特に茶道という分野には二の足を踏んだに違いない。

 今の日本では、茶道に対するイメージは、お嬢様の教養だ。
 たとえ本気でこの世界に関心を抱いたとしても、人目を気にしてしまう自分を想像してしまう。抵抗する部分が生まれてくるのは否定出来ない。
 
 しかし、日本の裏側にあたるここアメリカでは、そう言った無意味な抵抗がない。素直になれる。

 ただ日本でも茶道の世界に触れる機会はあった。

 学生時代。

 研究室で旅行に行った折りなど、たまたま旅先で茶室に巡り合わせた時、恩師がその場でお茶を点ててくれた。

 また、やや不純な動機もある。
 惚れた女の気を引くために、彼女の自宅で開かれている定期的なお茶会に、招待もされずに混じって座っていた。

 アメリカで楽に出会った頃はすでに30を過ぎてはいたが、それまで多少なりとも、茶道とのかかわりは持ち合わせてはいたのだ。

 それにもう一つ、いわゆる「禅」に関心を持つきっかけが日本にいた頃あった。

 その時代、今日「もの派」と呼ばれる現代美術のムーブメントが起こっていた。
 その代表的存在ともいえる李禹煥が書いた書物、「出会いを求めて」という本は、当時、美術をめざす学生のバイブル的な存在であった。

 李がめざす芸術とは─素材を無理な加工をせず主役としてインスタレーションをするもので、ミニマリズムにも通じるものだった。その李が提唱する運動の基盤に「禅」があった。

 アメリカで生活してゆく中で、これらが互いに混じり合い、ミキサーの中に放り込まれ、回転していった。

2006年2月14日

シリーズUNTITLED②

1989_work.jpg
 アメリカ滞在中、週末には近所の教会に通っていたのが私の中にある祈りのかたちを引き出すきっかけとなった事は前にも書いた。

 百年の歴史を持つという近所のその教会。天空から差し込む太陽の光がステンドグラスを透過し、美しいハーモニーを奏でている。

 見上げるばかりの高い天井。
 正面には、重厚な存在感を放つパイプオルガンのオブジェが、古びた真鍮の輝きを放っていた。
 素直に祈りの心と対面出来る空間がそこにはあった。人類が神へ捧げた一途な気持ちに、今まで気にも留めていなかった美の出発点を発見したような気がした。

 しかしきっかけは教会であったが、私の中にある祈りの原点は九州の生まれ故郷にある。異国の中で自己の内面を再発見することになった。それが岩肌へと結びついている。

 帰国後、様々に模索しながら岩肌と線による祈りのかたちを追求して行った。

 下の写真は1989年日本で鋳造し、アメリカの雑誌に掲載したUntitledシリーズの作品である。技法は蝋型鋳造によるもので、シリコンブロンズを使用した。

作品タイトル:「Untitled(Susobana Valley-1)1989」
制作年月日:1989年8月
展示場所:上山田文化会館 ホワイエ
長野県千曲市上山田町
展覧会名:鋳金工房「鋳」展
スケール:260mmx560mm
素材:シリコンブロンズ

2006年2月13日

シリーズUNTITLED

1987.jpg
 玉砂利から始まった祈りの原風景が、紆余曲折の末石板となった。石板の肌の自然のテクスチャーと、私の加えた線による造型とのコラボレーションによって表現したのがUNTITLEDシリーズの始まりだった。
写真は、このシリーズの始まりとなった、石肌と波打つ動的な線による痕跡とのコラボレーションで、アメリカで鋳造したブロンズ作品である。

作品タイトル:「untitled-1987Ⅱ」
制作年月日:1987年4月
展示場所:Extension Gallery
60 Ward Avenue Extension
Mercerville,NJ 08619
展覧会名:「HITOSHI KIMURA」
スケール:305mm x485mm
素材:シリコンブロンズ

 アメリカ滞在中、しばらくこのシリーズを行った。1987年5月、帰国する前にお世話になったジョンソンアトリエのギャラリーで、このUNTITLEDシリーズを発表した。(作品写真は近々ウエブ上にアップする予定。) 

 ミニマムな造型行為としての線。石肌は自然を象徴する。人と自然の出会い。神が生まれる背景に両者の関係がある。

 人はこの世に生まれ、やがて死を向かえる。

 地球もまた、宇宙に生まれ消滅する運命を背負っている。

 人の生のサイクルは地球のサイクルに比較すればはるかに短いが、互いに消滅に向かい進んでいることには変わらない。どちらも時間という運命のサイクルを持ち合わせている。

 人間はたまたま縁あって地上に生まれ、この地球のサイクルに身を任せている。
 今私が過ごしているこの時間は、地球という大きなサイクルと、私という小さなサイクルとの偶然の出会いが作り出したものなのだ。

 しかしこの出会いは長くは続かない。

 この出会いは宇宙の壮大な時間に比べれば瞬時であり、あっという間に消えてゆく。
 
 躍動する線を使ったのは瞬的なこの貴重な出会いを表現。
 また、勢いあるものにしたのは、位置が定まらず絶えず悩み、揺れ動く人間を表し、静的な石と対比している。

 祈りの要素がここに絡む。

 このシリーズは帰国後1995年まで続いた。

2006年2月11日

石板を原型に

石板。 
 
 すなわちスレートは石材店の主な商品だと言える。

 道路に敷き詰めたり、建物の外側のデコレーションなどに盛んに使われるからだ。
 岩石の種類によっては断面の模様や色合いが異なり、そういったパターンの美しさや違いを楽しんでいる。

 石材屋を見つけた時、ずらりと並んだパネル状の石の板を見て圧倒される思いがした。と同時に、いわゆる日本で見かける、自然のまま山から運んできたような大きな岩などはどこを見ても見あたらない。

 玉砂利をあてに入った私は、失望するのにさほど時間はかからなかった。

 ここはアメリカだ。

 現地でごく自然に手に入る素材から取り組んでみることも大切なのでないか。

 大きな石板を適度な大きさにカットしてもらい、さらに短冊状に細かに切断してもらう事にした。かたわらに落ちていた石版の破片もついでにいただいた。


 私の主たる作品の表現技法は以前にも述べたとおり、「鋳金」だ。

 「鋳金」というのは金属を溶かして鋳型に流す作業のことを言い、いわゆる鋳物のことである。同じ金属で表現する「鍛金」や、「彫金」とは異なり、最初から金属を扱うことはない。
 初めのうちは鋳型を制作することに全精力を使う。
 金属を手にするようになるのは、鋳型の中に鋳込まれ、中から固まった金属を取りだしてからはじめて行う作業だ。
 
 従って、鋳金の場合、金属加工のジャンルではあるが、金属を直接さわりながら加工してゆくのは、実に全行程の後半4分の1程度なのである。主な作業はそれ以前に行う鋳型を作る作業や、鋳型のもととなる原型を作る工程で占められる。

 私は鋳型を、切断してもらったスレートを手にしながら蝋原型にいたるまでの製作プロセスを頭に描いていた。

2006年2月 9日

玉砂利はどこに-その2

 日本における玉砂利にあたるような石は、実は日本を離れると簡単には手に入らない。

 日本では当たり前のことが、場所を変えればまれな現象となるのだ。
 このことは、ひとり玉砂利の件に限られたことではなく、いろんなところにおよぶのではないか。

 今日外国との交流が盛んに行われているとはいえ、周囲を海に囲まれたわが国はやはり異質な、というより特異な現象が他国の人々から見るといまだあるのかもしれない。

 いや、そう考えるのが実は日本的、島国的ではないか。他民族がごちゃ混ぜになっている国であれば、こういった些細な違いは日常茶飯事であると思えるし、むしろこういった違いがあるのは当然であり、全体がまとまった、統一した見解を持つのを期待する方が非日常的であると思っているかもしれない。

 また、事実それらしき状況をここアメリカで感じたりもした。

 まずは違いを認めることから始まる。

 日本人が将来世界の人々と交流するにあたり、このことを少し頭の中に入れておく事は大切だと思える。

 全体が予定調和的に統一された考えが有り、そのことを把握していなければ落ち着かないといった考えは、外国に居る日本人であれば、当初少しは感じるものの一つではないだろうか。

 それは、今まで受けてきた日本の学校教育や世間での学びが、絶えず全体の管理を優先し、規範に乗っ取った行動を期待してきたからだではないか。

 全体が理想とする状況に、少しでも狂いが生じてくるととたんにパニックになってくる。そういった教育にどっかり浸かってきた人間の脳は、一朝一夕に洗脳が解けることはない。そのために、「個」が萎縮し育たない。

 以前はこういった日本の悪い点が気がかりだった。
 でも最近では、全体に目を向け、周囲に気を遣うということはすべてが悪いことでは無いような気がしている。

 こうした「和」をもって尊しとなす、という日本文化の良さも悪さも感じ取ることができるのが、海外で暮らすことで得る有意義な点の一つであると考えるようになってきた。

 話が逸れてしまった。

 玉砂利を見つけることをあきらめた私は、てみじかに手に入る石板すなわちスレートを購入しそれをブロンズ鋳造のための原型素材に使うことにした。

2006年2月 8日

玉砂利はどこに

 私はアメリカで玉砂利を探すことにした。

 ところが日本では、特に私の住んでいる長野市では、車に乗って数分走ればそれらしい物体を簡単に見つけることができる。
 だが、ここアメリカ、ニュージャージー州ではなかなか見あたらない。

 当時車を買っていたので自由に周辺を探し回ることはできるのだが、どこでそれらしき石を見つけることができるのか。いざ探す段になってはたと困った。

 見あたらないのだ。

 確かに大きな川はある。
 しかし車が走る道から川は確認出来ても、その川縁に近づくことができない。
 たしかに川は道路の遙か下に確認は出来る。
 が、車で川に近づくことはむろん、車を降りて川へ近寄ることができない。川と人間が完全に隔離されているのだ。

 自然界のテリトリーと、人間界のテリトリーが完全に分離されているのだ。
 
 それまで漫然とアメリカで暮らしていたが、このことにはそれまで気がつかなかった。また、仮に運良く川縁に出て石を捜しても、おそらく、くだんの玉砂利のイメージに合いそうな石に、出会いそうもにもなかった。

 近くの石屋へ寄ってみた。

 そこで扱われている石は、丸い立体でなく平面状の石の板だった。 
 主に道路や広場で使う石畳として利用するらしい。
 多少ボリュームがあるものは墓石として使うらしい。

 なるほど。ここには日本で見られるような大きな自然石など無い。
 需要と供給と、さらに文化の違いが絡んでいる。

 私は、かたわらに半欠け状態で捨てられている三角状の石版を拾って、安く譲ってもらうことにした。

2006年2月 4日

祈りの形

 祈りの形というものに興味を持ち始めたのは一体いつ頃からだったろうか?

 そのことを創作活動という形の中ではっきり意識したのは、1986年6月より翌1897年9月までの間、文部省在外研究員としてアメリカに滞在した時からだった。

 当初アメリカで制作を進めるため、それまで日本で描きためておいたアイデアスケッチやエスキースをバックに入れて渡米したのだが、結果的にそれらのアイデアやスケッチ類が生かされることは無かった。なぜか。
 その理由や詳細についてはでここでは省略する。

 とにかくアメリカに渡って現地で生活してゆくうちに、よくあることだが日本を意識し始めたのが事の始まりだと思う。
 
 当時、故あって近くの韓国系の教会へ通うようになり、教会の長椅子に座って祈りを捧げながら、ふと見上げたステンドグラスが何とも言えず美しく、キリスト教が産んだ美の力をはじめて体で感じ取ることができた。

 感動した。

 繊細に光り輝く木洩れ日。高い天井。
 心にこだまする音響。

 何という美しい風景なのだろうか。

 そうだ。美とは神への捧げものだったのだ。
 音楽や哲学もその始まりは教会とは切っても切れない関係なのだ。
 
 明治の文明開化が始まって以来、美術が輸入され日本に入ってきたけれど、こういった美術の原点について、日本人は充分に理解してきただろうか?
 西洋にある美の形をただ漠然と模作し、作り上げてきただけではなかったか。

 このできごとが祈りと美術、そして日本を考えて行くきっかけとなっていった。

2006年2月 1日

February 01, 2006

今日からブログを始める。

私は戦後間もなく福岡県の片田舎、宇美町というところで生まれた。
いわゆる団塊の世代である。

宇美町というところは魏志倭人伝の中に、フミノコクという名前で出てくるらしい。
つまりそのフミノコクというのが現在の宇美町であると言われている。
 
町の中心部に宇美八幡宮というお宮があって、安産の神様として知られている。
神功皇后がここで後の応神天皇を産んだという言い伝えが残っており、それ故安産の神様として慕われてきた。
境内の中には階段状に沿って下ってゆく何か得体の知れぬ不思議な空間がある。
たどり着いた場所は、自然のわき水が沸いている大きな祠。
皇后がこの水を使って産湯にしたことで、産湯の水として大切に祭られている。

子供の頃は境内にある宇美八幡宮保育園に通っていたので日頃よくこの場所を訪れていた。
祠には、しめ縄が飾られており、子供心に人類がうかがい知れない、立ち入れない何か大切な、神秘な雰囲気を感じたものだ。

前置きが長くなったが現代美術をやっている。
インスタ系。立体系。ものつくり系。
もとの専門は金属。鋳金(ちゅうきん)といって金属を溶かして鋳型に流すというプロセスを主に行っている。
が、近年では特にそれにこだわっているわけではない。

最近の発表形態は毎年7月、長野県長野市にある松代という町で開いている「まつしろ現代美術フェスティバル」という企画を自分で立ち上げ、中でインスタ作品を披露している。
町の中に残る貴重な藩校、松代藩文武学校という史跡の中で行っている。

松代と書いてまつしろと呼ぶ。
越後妻有のほうは、松代と書いて、「まつだい」と呼ぶ。
 
余談ですが2回目のトリエンナーレで大学のゼミ形式でたまたまこの越後の松代で発表した。
全くの偶然。

このときの作品の素材はアルミ。蝋型鋳造と溶接によるもの。

ちなみに昨年度使った素材は石膏と石。
その前はアルミの鋳造及びアルミ板の溶接。
その前はブロンズや鉄の鋳造。
また、それらとは別に、写真を使ってパネル張りにした作品も有る。この作品は現在、韓国の金泉という町においてある。
 
寄贈したのだが、この話はいずれまた。

私の作品のコンセプト。
簡単に一言で言うならば、祈りの形。
これも日本人のオリジナルな祈りの形態。

そう、前置きの中で神社の境内の中にある不思議なわき水の話に触れたが、どうやら私の作品へのアプローチはそこから来ているらしい。

祈りの中に現れる形体。こころ。言葉にはならない異空間の中に宿る形体。

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