2010年10月24日

満月の夜

 昨夜は満月だった。
 薄く夜空全体に雲がかかり、その向こうに、透かしたように満月が輝いている。しばし幻想的な風景に酔いしれていた。 
 昨夜は住中浩史さんと飲んだくれていた。なので本当に酔いしれてもいたのだ。

 昨日、住中浩史さんにお願いして、まほろば祭のイベントの一つで「中学生と映像」というタイトルで講演を行ってもらった。おもしろい。戸倉上山田中学を舞台にした短編映画もおもしろかった。才能ある人だ。昨夜は2人で慰労会を行っていた。

 満月で思い出した。おそらすぐ前の周期の満月になるのだろうか、私は北京にいた。
 卒業生の中国人、金 永先氏に案内してもらって、天安門広場を散策していた。この夜の満月は、中節と言って、中国ではお盆にあたるらしい。家族が集うことは日本と一緒だ。

 北京に行った目的は、最近噂に高い798の画廊街を視察するため。
 行って見て驚いた。噂に違わず活気にあふれている。近くには芸術家が7000人住んでいるらしい。恐ろしく桁が違う。

2010年9月 4日

アートスペースFLAT FILE

9月11日から個展を開くアートスペースFLAT FILEは、モリヤコウジさんがNYから帰ってきて、長野市善光寺の近く、長野市桜枝町の空き家を利用して立ち上げたギャラリーです。
モリヤコウジさんの普段の仕事は、額縁を作ること。ついでに?ギャラリーを経営しているのですが、このギャラリーの持つ雰囲気が現代美術にすっかりはまっている。単純に言うと良いんです。。70年代の東京で流行した現代アートギャラリーのにおいがする。外見は普通の家にすぎないのですが、いざギャラリーとなると、すっかり日常から離れた画廊空間に変身してしまう。これはモリヤ氏が長年NYで培ってきた感性がそうさせるのでしょう。私はとても気に入っています。何よりもコマーシャリズムが出ていないところが良い。そして現代アートギャラリーには最低備えていなければならない独特のオーラというか、においがここにはあるのです。こういった感性は普通に暮らしていっては出てこないもの。この感覚を言葉に表して説明しにくいところなんですが、私はこういう雰囲気を持つ画廊を求めていたような気がするのです。

彼には昨日、第2子のお子さんが誕生しました。女の子だそうです。おめでとうございます。嬉しそうな電話口でした。しかしこんな大変な時期に個展を開催させていただくことになってしまいましたが、まあ、プラスに考え、これも良い記念になる事とします。

2006年6月17日

ジョンソンアトリエのこと

ジョンソンアトリエとは民間の彫刻スタジオです。いや、でした。というべきか。数年前に閉鎖して今は無い。

私は学生時代鋳金という技法を学んだ。従って表現手段として主に鋳金を用いている。ところがこの鋳金という技法はかなり複雑で習得にはかなりの時間が必要である。長い経験が必要なのだ。そのことが原因かどうか分からないが、鋳金を表現手段とする作家は少ない。人体彫刻などでブロンズにする作家はいるがその多くは専門の業者にお任せして作家自らが鋳造工程を行うことは少ない。外国作家でも少数であったようで、人体彫刻で自分で鋳造していたのはマンズーくらいだろうか。
また、鋳造工場はおおむね閉鎖的でその技法を外部に公開することは極めてまれだ。自分の技術を盗まれたくないという職人の狭い技量が邪魔をしている。そんな中、このジョンソンアトリエは学校形式を取り、技法を外に向かって開放している唯一の機関であった。たまたまアメリカに行ったおり見つけてきたものだ。私は小躍りした。今までの日本の技法だけでなく世界の技法が学べるし、そのことが表現にも影響してくることを期待したからだ。
ところがしばらくたってそのジョンソンアトリエの正体が分かってきた。

ジョンソンの名前の由来は、バンドエイドなどを作っているジョンソン・ジョンソンカンパニーから来ている。
しかし衛生製品を作る会社がなぜ鋳造にかかわりを持ったのか。
それはジョンソンの会社の御曹司が人体彫刻を作っている作家であったのが起因している。つまり彫刻家である息子の作品を鋳造するに当たり、ついでに学校を作ってしまったというわけ。アメリカの財閥のスケールの大きさが分かるというものだ。
しかし話はそれだけで終わらない。学校という形式を取ることによってかなりの節税を行っているということだ。さらに学校という名のもと、生徒という名ばかりの工員に鋳造作業を行わせており、生徒には奨学金という名目で入学金は取らず、その代わり、その労働賃金は当時の最低賃金を下回る微々たるものであった。何と頭の良いことか。

また話は続くのだ。
息子の彫刻家が鋳造した作品を取引先の関係者に売りつけているということであった。
息子ジョンソンの作品は極めてリアルな人体彫刻で、身につけている衣装の素材は本物から取っている。こんな細かな技法を駆使出来るのも、自ら鋳造作業に関わることが出来るからだ。もっとも息子作家自身は小さなマケットを作るだけでそれを元に大きくして鋳造して行くのはアトリエに通って勉強(?)しつつ働いている生徒が行うのだ。

しかし対局的に見返すと、鋳造業界が極めて閉鎖的な世界であることを考慮に入れれば、まがりなりにも技法を開放し、広めていることには間違いなく、その点だけは認めて行くべきであろう。

2006年3月13日

そんな中

そんな中で1ヶ月がたち、約束していたジョンソンアトリエに行く時が来た。
ニューヨークのマンハッタンのペンステーションからニュージャジー行きの電車に乗ってトレントンへ。駅からアトリエへ電話する。
 
 この日のために練習していた会話マニュアルを広げつつおそるおそる電話する。
 マニュアルは日本で知り合った英国人の友人が作ってくれたものだ。

 たどたどしくも何とかこれから伺うことを先方に伝える。
 駅前のタクシーを捕まえ乗る。
投稿者 hkimura : March 13, 2006 11:35 AM

March 10, 2006

なぜ神への憧憬が

なぜ神への憧憬が芽生えたのか。

実は1986年当時、私は心の病に冒されていた。
アメリカへ行く前々年あたりから鬱状態であった。
1986年6月、ニューヨークに来たものの心は固い鉄の中に閉じこめられていた。これから10ヶ月の間、無事に過ごせるのか-----。

気がかりだった。

昼間の大半はホテルのベッドで過ごし、夕方ぶらりと街中へ出かけた。
そんな毎日が1ヶ月ほど続く。

現実の世界から逃避したかった。
一体自分は何のためにものを作っているのか?

藁をもつかむ気持ちで教会へ通う。
生きることとは何か-----。

2006年2月24日

日本に帰って

日本に帰ってきて発見した新たな事実。
など大げさな表現をしてみたがどうって事はない。日本には気楽に入れる教会が少ない。
いや、実はあるのだが何となく気後れしてしまう。

教会を求めて探してみた。

アメリカでは街の一ブロック単位で教会があったがここには見あたらない。
たまにあっても門戸が閉ざされており、どこにも見うけられる神社のような開放感が無い。ドアを押し、中へ入る、それを阻む見えない壁。

むろんアメリカでの教会も通常はドアが閉じられている。
だが、町が放つ空気が教会を親しみやすくしている。そこに住む人々の暖かい人間臭を感じ、ドアを押し開ける勇気が沸いてくる。

日本でのそれは臭いを感じる事が無いように思えた。

周辺を探索すると同時に玉砂利の件もあったので長野の山、川を、石を求めてドライブする。
風光明媚な山道を走っているうちにあることに気付く。
見晴らしの良い山道のポイントとなりそうなこんもりとした丘陵など、必ずといっても良いくらいに神社の祠か鳥居がある。

ハンドルを握っているうちに何となく心弾む気持ちになるところ。
どことなく周囲の風景に惹かれるところには、鳥居がその場所を見守っている。

そしてその多くは風雪に耐え歴史を感じる風格を持っていて、小さいながらも威厳を放っている。昔から代々その土地に住んでいた人々が大切に受け継いできた魂の継承が、そこにはあった。

祈りの原風景。
捨てられ、忘れ去られようとはしているが、それでもなおかつ毅然とした神への憧憬。

いつの間にか心惹かれていくのを感じた。