February 04, 2006
祈りの形
祈りの形というものに興味を持ち始めたのは一体いつ頃からだったろうか?
そのことを創作活動という形の中ではっきり意識したのは、1986年6月より翌1897年9月までの間、文部省在外研究員としてアメリカに滞在した時からだった。
当初アメリカで制作を進めるため、それまで日本で描きためておいたアイデアスケッチやエスキースをバックに入れて渡米したのだが、結果的にそれらのアイデアやスケッチ類が生かされることは無かった。なぜか。
その理由や詳細についてはでここでは省略する。
とにかくアメリカに渡って現地で生活してゆくうちに、よくあることだが日本を意識し始めたのが事の始まりだと思う。
当時、故あって近くの韓国系の教会へ通うようになり、教会の長椅子に座って祈りを捧げながら、ふと見上げたステンドグラスが何とも言えず美しく、キリスト教が産んだ美の力をはじめて体で感じ取ることができた。
感動した。
繊細に光り輝く木洩れ日。高い天井。
心にこだまする音響。
何という美しい風景なのだろうか。
そうだ。美とは神への捧げものだったのだ。
音楽や哲学もその始まりは教会とは切っても切れない関係なのだ。
明治の文明開化が始まって以来、美術が輸入され日本に入ってきたけれど、こういった美術の原点について、日本人は充分に理解してきただろうか?
西洋にある美の形をただ漠然と模作し、作り上げてきただけではなかったか。
このできごとが祈りと美術、そして日本を考えて行くきっかけとなっていった。
投稿者 hkimura : 09:25 PM
February 01, 2006
今日からブログを始める。
私は戦後間もなく福岡県の片田舎、宇美町というところで生まれた。
いわゆる団塊の世代である。
宇美町というところは魏志倭人伝の中に、フミノコクという名前で出てくるらしい。
つまりそのフミノコクというのが現在の宇美町であると言われている。
町の中心部に宇美八幡宮というお宮があって、安産の神様として知られている。
神功皇后がここで後の応神天皇を産んだという言い伝えが残っており、それ故安産の神様として慕われてきた。
境内の中には階段状に沿って下ってゆく何か得体の知れぬ不思議な空間がある。
たどり着いた場所は、自然のわき水が沸いている大きな祠。
皇后がこの水を使って産湯にしたことで、産湯の水として大切に祭られている。
子供の頃は境内にある宇美八幡宮保育園に通っていたので日頃よくこの場所を訪れていた。
祠には、しめ縄が飾られており、子供心に人類がうかがい知れない、立ち入れない何か大切な、神秘な雰囲気を感じたものだ。
前置きが長くなったが現代美術をやっている。
インスタ系。立体系。ものつくり系。
もとの専門は金属。鋳金(ちゅうきん)といって金属を溶かして鋳型に流すというプロセスを主に行っている。
が、近年では特にそれにこだわっているわけではない。
最近の発表形態は毎年7月、長野県長野市にある松代という町で開いている「まつしろ現代美術フェスティバル」という企画を自分で立ち上げ、中でインスタ作品を披露している。
町の中に残る貴重な藩校、松代藩文武学校という史跡の中で行っている。
松代と書いてまつしろと呼ぶ。
越後妻有のほうは、松代と書いて、「まつだい」と呼ぶ。
余談ですが2回目のトリエンナーレで大学のゼミ形式でたまたまこの越後の松代で発表した。
全くの偶然。
このときの作品の素材はアルミ。蝋型鋳造と溶接によるもの。
ちなみに昨年度使った素材は石膏と石。
その前はアルミの鋳造及びアルミ板の溶接。
その前はブロンズや鉄の鋳造。
また、それらとは別に、写真を使ってパネル張りにした作品も有る。この作品は現在、韓国の金泉という町においてある。
寄贈したのだが、この話はいずれまた。
私の作品のコンセプト。
簡単に一言で言うならば、祈りの形。
れも日本人のオリジナルな祈りの形態。
そう、前置きの中で神社の境内の中にある不思議なわき水の話に触れたが、どうやら私の作品へのアプローチはそこから来ているらしい。
祈りの中に現れる形体。こころ。言葉にはならない異空間の中に宿る形体。
投稿者 hkimura : 06:33 PM